2018年10月スタートの趣味どき水曜放送シリーズは「おとなの歩き旅 秋」と題して、この秋訪ねてみたい山城、低山、朝市・陶器市の町、古街道の歩き方を紹介するシリーズ全9回です。10月3日放送の第1回は天空の城・岡山県備中松山城。旅人はとよた真帆さん、羽場裕一さん。案内人は城郭ライターの萩原さちこさんです。
クリック⇒第2回 武家の名残の城下町 岡山・高梁
クリック⇒第4回 歴史ロマンを楽しむ低山歩き 茨城・袋田の滝
クリック⇒第5回 朝市の活気あふれる港町 千葉・勝浦
クリック⇒第6回 陶器市の立つ町の歩き方 茨城・笠間
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趣味どき おとなの歩き旅 秋 第1回 天空の城歩き 岡山・備中松山城
放送日:2018年10月3日(水)
放送時間:夜9:30~9:55 NHKEテレ
再放送:2018年10月4日(木) 午前10:15~10:40 NHK総合
再放送:2018年10月10日(水) 午前11:30~11:55 NHKEテレ
出演者
旅人 とよた真帆
歩き旅大好き
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岡山県 備中松山城 素晴らしい山城にいきました😊 10月3日 NHK 趣味どきっ!『おとなの歩き旅』 1回目放送 です #nhk #趣味 #城 #岡山県 #備中松山城
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備中松山城に最近住み着いた猫🐱名前は『ご家老さま』人懐こい男の子。皆んなで可愛がっているそうです😊 #cat #猫 #備中松山城 #岡山県 #城
羽場裕一
土地の歴史を感じたい
城郭ライター 萩原さちこ
全国のお城に詳しい城郭ライター。訪ねたお城は1000箇所以上の達人。
<新> 趣味どきっ!おとなの歩き旅(全9回)
第1回「山城を歩く 岡山・備中松山城」
[Eテレ]10/3(水)21:30~21:55
[NHK]10/4(木)10:15〜10:40第2回「城下町を歩く 岡山・高梁」
[Eテレ]10/10(水)21:30~21:55
[NHK]10/11(木)10:15〜10:40ご覧ください☺︎https://t.co/O2DJeRflIi pic.twitter.com/Uoud7mMkwj
— 萩原さちこ (@shiro_meglist) 2018年9月30日
しつこいですが。
備中松山城は明日、城下町は来週です。
観てね☺︎
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「趣味どきっ!おとなの歩き旅 秋(全9回)」
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第1回「山城を歩く 岡山・備中松山城」
[Eテレ]10月3日(水)21:30~21:55
[NHK総合]10月4日(木)10:15〜10:40(再)
[Eテレ]10月10日(水) …https://t.co/i8Cgmgo7nF pic.twitter.com/c6WKT1XYo1— 萩原さちこ (@shiro_meglist) 2018年10月2日
高梁市教育委員会 三浦孝章
ナレーター 龍田直樹(声優)
番組内容
この秋、訪ねてみたい山城、低山、朝市・陶器市の町、古街道の歩き方をご案内!。何気ない風景も視点を変えれば新たな魅力を再発見!今回は天空の城・岡山県備中松山城へ!
引用元:tv.yahoo.co.jp
【今夜9:30 おとなの歩き旅・秋】
いつもと違う道を歩いてみませんか?
旅の楽しみ方をご案内する番組。
第1回は、雲海に浮かぶ城として名高い備中松山城を巡ります。
旅人はとよた真帆さん。「#趣味どきっ!」 #Eテレ
10月3日(水)午後9:30https://t.co/HAfdl8EcZU— NHK Eテレ編集部 (@nhk_Etele) 2018年10月3日
雲海の間から空に浮かんだように見える天空の城。
岡山県の備中松山城は、全国でたった一つ天守が残る山城。
戦国から江戸、現代までの歴史に触れながら歩きます。
山の上に築かれた巨大な石垣の秘密とは?
そして天守に祀られていた謎の剣。
標高440メートルの山の中で不思議な池を発見!
何気ない場所もいつもと違う視点で歩いてみれば
普段気づかない新たな魅力が見つかります。
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岡山県高梨市・備中松山城 天空の山城
一般的に山城に天守があるのは珍しく、備中松山城は日本で唯一山城に現存天守があるお城です。
備中松山城があるのは臥牛山。
4つの峰が連なった姿がまるで牛が寝そべっているように見えることからその名が付きました。
4つの峰のうち天守があるのはその2つ目。
標高290メートルの「ふいご峠」から430メートルの天守を目指します。
天守まではおよそ20分の道のり。
ちょっとしたハイキングコースです。石段があるので、登りやすいそうです。
しばらく歩くと石垣が見えてきました。
しかしまだここはお城ではありません。
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山城歩きを楽しむポイント① 絶景の美
歩き始めておよそ10分、ソキほどの石垣の上にある中太鼓やぐら跡に到着。
ここからの眺めは素晴らしい!
このあたりは臥牛山の牛の背中寄りの首のあたりです。
そこからの眺めを楽しみました。
眼下に見えるのは川沿いに細長く広がる城下町、岡山県高梁市。
まるでお殿様気分で絶景を見下ろすのも山城あるきの楽しみの一つですね。
山道はまだ続きます。
途中、「よくぞまいられた」の立て札を見ながらお城の入り口に到着。
石垣がお出迎えです。この石垣が築かれたのは江戸時代。
お城の入口にようやく到着しました。
圧倒的な存在感。お見事です。
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山城歩きを楽しむポイント②自然を巧みに利用した”美”
この石垣が積まれたのは江戸時代のこと。
高く積み上げられた石垣だけではなく、むき出しの岩盤とうまく組み合わされていて、自然の岩盤と人口の石垣のコラボレーションで、人の手と自然のありのままの姿が融合した見事な造形です。
積み上げるためには大量の石が必要になりますが、一体どこから運んできたのでしょう。
その秘密は、矢穴(やあな)という石にくさびを打ち込んだ痕で、この穴は石切りのためにくさびを打ち込んだ穴です。
実は、臥牛山自体が花こう岩でできた岩山です。
この石垣は、この山の石を切り出し、一つ一つを城の石として積み上げて作ったものなのです。
この石垣は大手門と呼ばれています。大手というのは正面といういみなので、ここが表門です。当時はここに大きな門が建っていたのです。
備中松山城は枡形虎口という形式で門が作らえています。
これは進路の途中に踊り場のような四角い空間が、侵入者を一旦足止めするために設置されています。
備中松山城は土塀が現存しているお城として珍しいのです。
この土塀は「三の平やぐら東土塀」は江戸時代1680年ごろに作られたものがそのまま残っています。
狭間(さま)と呼ばれる丸や四角の穴は、ここから鉄砲で狙い撃ちするためのものです。しかし、実際に覗いてみると、狙い撃ちどころか木の影になっていて何も見えないのです。江戸時代に入って安定した時代になったため、戦闘を本気でやろうという気がなかったのでは、とも言われています。
しばらく歩くとニの門跡に到着。
標高430mに立つ天守。建物の資材も山を登って運んだのでしょう。途方もない労力が想像にたやすいです。
いよいよ天守閣です。
天守の高さはおよそ11m。現存する天守の中では最も小ぶりです。その天守は写真のように岩盤の上に石垣を積んで、その上に建っています。この形は備中松山城が唯一だそうです。
城が築かれた当時の天守が残るのは、日本全国で僅か12箇所のみ。
- 弘前城
- 松本城
- 丸岡城
- 犬山城
- 彦根城
- 姫路城
- 松江城
- 松山城
- 丸亀城
- 宇和島城
- 高知城
- 備中松山城
中でもこの備中松山城は唯一の山城で、とても貴重なのです。
天守の内部は、城主が住むところではないということもあり、殺風景な感じ。
なぜ、わざわざ山の上に立派な天守を建てたのでしょうか。
山城を楽しむポイント③想像力を駆使しよう
そもそも山城は鎌倉時代から戦国時代までの間につくられた戦のためのもの。
そのため、江戸時代にはほとんどが廃城となります。
ところが、この備中松山城はその江戸時代にわざわざ立派な天守を建てている。
これはとても不思議なことなのです。
その謎を解くヒントが2階にあるそうです。
実は2階には御社壇があり、当時の城主である水谷勝宗がこの城の守護神として3本の剣「宝剣 銘国重 宝剣拵(ほうけん めいくにしげ ほうけんこしらえ)」を祭っていたそうです。
つまり刀を祭る宝物殿のようなお城ということで、神社のような役割が与えられていたとも考えられます。
山城で天守が唯一残る備中松山城。その陰には苦難の歴史がありました。
明治に入ると、廃城令が1873年(明治6年)に出て、全国のお城は廃城になった。
廃城令の後、備中松山城は山の上にあることから取り壊されることもなく、そのまま放置されます。やがて長い年月が流れ城は荒れ果てました。
昭和になり、「お城をなんとか残したい」と地元高梁の人々が立ち上がり、昭和14年から改修工事が行われます。
旧制中学をはじめ地元の学生たちが瓦を背負って山道を登り、城の修復に尽くしました。
地元の強い思いに支えられたからこそ、現在もその姿を見ることができるのです。
これで終わり、ではありません。
実は天守がある峰のその奥に進みます。
暫く進むと橋が現れます。
この橋の下のところを堀切と言って、敵の侵入を防ぐために、尾根を分断して今いた石垣のお城との間につくられた堀のことです。
臥牛山の4つの峰それぞれが要塞化されていましたが、関ヶ原合戦のあとに天守がある小松山だけが石垣のお城に一部リフォームされています。
つまり、この堀切りの向こうは戦国時代の備中松山城となります。
山城歩きを楽しむポイント④時代を遡る
橋を渡ると江戸時代から戦国時代の備中松山城になります。
山道をさらに登っていきます。
この山道、良く見ると延々と山が続くのではなく、左側の上のほうに少し空が見えています。あのあたりは平坦地になっていて、これを曲輪といいます。
崖や堀で区切られて平らにならされた区画のことで、この道はもともと山の斜面だったのですが、左の上の方から下の道のほうまでごっそりと切り取って、下に道を、左側は崖を人工的に作る、といった形で、人工的に削った跡です。この崖の跡を切岸ともいいます。
実際には以下の写真のような感じでつくられます。
山城ではこうした自然の地形を利用した防御の仕組みが見られます。
さらに山道を進み、臥牛山の4つ目の峰に到着しました。
峰とは言え、平らな土地で、人工的な区画を感じるところです。
備中松山城が最初に作られたのは鎌倉時代ですが、それがここにあった大松山城です。1240年(延応2年)に最初の砦が築かれました。
山道を歩くごとに歴史をさかのぼっていく錯覚に陥った、とのことです。
こういったいろいろな時代の姿が残っているのを感じ取るのが、山歩きのおもしろさと言えます。
最後にたどり着いたのは、石垣できちんと作り込まれた池。
天守から680m、標高440mの山の上にある石垣づくりの謎の池。
ここで、おととし発掘調査が行われた際に調査をした高梁市教育委員会の三浦孝章さんが登場。
2016年から2017年にかけて大池と呼ばれるこの池の水を全部抜いて発掘調査を行いました。
その結果、全国のお城の中で一番大きな池だということが分かったそうです。
大池は23m×10mの長方形で深さは4.3m。
池の底からは陶器の破片やキセルなどが見つかりました。実は大石内蔵助が1年ほどこのお城を預かっていることがあったのですが、ある手紙の中にはこの大池のことが書かれてありました。それは、この大池には屋根がかけてあって、建物がこの上にあったということでした。しかし、この建物の用途はまだ分かっていないようです。実は大石内蔵助も謎に思っている建物だったようです。
生活用水や消火用にしては城から遠すぎる。
殿様の水浴び用?
こんなふうにいろいろと想像をめぐらせるのも楽しいのです。
まとめ
普通の山城にくるつもりが、いろいろな時代を経て、とてもおもしろい旅になったようです。お城を見ながら歴史をずっとたどって遡っていたイメージでした。
いろいろな発見に出会える大人の歩き旅。
この週末、山城歩きを楽しんでみてはいかがでしょうか。
次回は備中松山城の城下町を歩きます!
趣味どき おとなの歩き旅 秋のテキスト
⇊⇊詳しくはテキストに載っています⇊⇊
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