2018年9月スタートの趣味どき月曜日シリーズは「茶の湯 表千家 清流無間断(せいりゅうにかんだんなし)」。2018年9月3日放送の第1回目のテーマは「家元継承」。表千家の第15代家元と先代家元に継承への思いをお話いただきます。
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趣味どき 茶の湯 表千家<全8回> 第1回「家元継承」
放送日:2018年9月3日(月)
放送時間:夜9:30~9:55 NHKEテレ
再放送:2018年9月10日(月) 午前11:30~11:55
出演者
表千家15代家元…千宗左
2018年2月に家元を襲名しました。
表千家前家元…千宗旦
渡邊佐和子(NHKアナウンサー)
番組内容
400年以上茶の湯の伝統を受け継ぐ茶道 表千家は、その伝統を、清らかな水の流れのように、時代の変化に応じながら、今に伝えてきた。今年2月、15代家元を襲名した千宗左氏に、伝統を継ぐ思いをうかがいながら、一服の茶を介して人と人とが向き合う静かなひとときを楽しむシリーズ。第1回は「家元継承」。15代家元、先代家元に継承への思いを聞く。
引用元:tv.yahoo.co.jp/
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わび茶の大成、千家のはじまり
一服の茶を通して亭主と客が心を通わせる茶の湯。
その形を400年以上前に確立したのが、千利休です。
以来、その伝統を伝える茶人たちはある心得を大切にしてきました。
「清流に間断なし」
よどみなく流れる水がいつまでも清らかであるように、物事の本質は変わることはなく続いていきます。
第1回は歴代の家元が受け継いできた茶の湯の真髄に迫ります。
茶の湯に臨む心構え
家元曰く、「あまり固く考えずに楽しんで。お茶は本当に幅広いものですし、いろいろな角度からお茶というものを学んでいただければと思います。」
表千家不審庵
茶の湯の庭「露地」は屋根のない茶室とも呼ばれています。
外界と一線を画した緑と静けさガチャの湯の世界へといざないます。
中潜(なかくぐり)
頭を下げ、くぐる動作をとうして謙譲の心を呼び起こします。
梅見門(ばいけんもん)
この門の先に表千家で最も重要な茶室があります。
茶室 不審庵(ふしんあん)
400根二条前から千利休より受け継がれてきた草庵の茶室です。
その僅か3畳余りの小さな空間には離宮が考え抜いた亭主と客の心を通わせる工夫が凝らされています。
窓は一つ一つ高さを変えてあしらわれたもの。
時とともに刻々と変わる明かりが客の目を楽しませます。
茶室の中央に立つのは、亭主と客の空間を区切る中柱。
細くても力強い印象を与える皮付きの赤松が、草庵の風情を醸し出しています。
「粗壁に 掛け物 おもしろし」
利休は、従来紙を貼って整えられていた床の壁をあえてむき出しにしました。
わらをすき込んだ土壁。飾らない空間で亭主と客が心から向き合う事を大切にしたのです。
残月亭
表千家にはもう一つ大切な茶室があります。それは「残月亭」。
あの天下人と利休とのゆかりを伝えるこの茶室で、特別にお家元にお話を伺いました。
残月亭とは?
利休が秀吉から秀吉の聚楽第に屋敷を賜っていたのですが、そこのこの残月亭の元となるような茶室があり、秀吉が度々その茶室を訪れて、この床の間に座って名残の月を眺めていたというところから、残月亭という名がつけられたそうです。
少し形は変わっていますが、同じような形式の茶室を再現して、千家のお茶室の中でも非常に大切なものです。
不審庵とは?
利休にゆかりのある茶室で、利休が京都に出てきて、最初に大徳寺の門前に屋敷を構えたと言われています。その屋敷に最初に利休が設けた茶室が不審庵という茶室でした。
不審庵というのは、利休が参禅していた古渓和尚から与えられた庵号。
「不審花開今日春」(ふしんはなひらくこんにちのはる)
※華が一輪開くのを見て、人智を超えた自然の偉大さに感動する心
上記の禅語から、不審庵という合がとられたと言われています。
家元での最も大事な催しといいますと、茶事になります。
茶事を催す際は不審庵にお客様をお呼びして、そこで家元が自らお茶を点てて、お客様をもてなすということになります。
家元継承について
家元継承についての思い
表千家は利休に始まり、ひ孫にあたる江岑宗左(こうしんそうさ)へと継がれる流派です。
今年2月に猶有斎宗匠(ゆうゆうさいそうしょう)は、千利休から数えて第15代家元となりました。
今の気持ちについて語られました。
「まぁ、こういう家元の長男として生まれて、こういう場で生活をしてきて、いずれそういう日が来るんだろうということは、子供のころから自然に頭の中で意識をしていたように思います。
ずっと今まで父のもとで一緒に仕事をしてきまして、役割は多少変わりますけれども、日々の日常は全く変わっていない気がします。
ですから、もちろん責任も重くなったことは感じます。ただ、必要以上にそれを重荷とは思っていないです。自然体で淡々と日常を過ごしているような気がしています。」
子供の頃から自然とこの日を意識していたという家元。露地にも家元ならではの思い出があるそうです。
「言ってしまえば自分の家の庭ですから、時にはこの中でかくれんぼとかしたりしたこともありました。今にして思えば、よくそんなことをしていたなとは思いますけれども。本当に自然に自分の日常の中にあった風景ですね。」
それを聞いた而妙斎宗匠(前代家元、つまり現家元の父)はこう語りました。
「昔から表流のお茶に取り組む姿勢というのは、”淡々として水の流れるが如く”といいます。つまりごく自然であれということです。
ですから、私も先代の即中斎が亡くなって、そのときに考えてみたら、先代から”家元とは”とか、”家元になったらどうするこうする”というような話を聞いた覚えがないと思います。
今になってふと考えてみたら、私も猶有斎にそんな話をした覚えがない。ただただ先代について回ったというか、蔵に入って道具出しをするならそれについて行くし、お茶時に先代が呼ばれる時には私も一緒になってついて呼ばれに行くし、また家元で茶事があるときは水屋で中には入らないですが一生懸命中の声を聞き、また音を聞きして、そういうようなことを自然自然に身についてきたと思います。
特別に教わることはないですが、その毎日の生活の中での先代のやりようを見てる。そうすると、やはり先代のお茶の中にもだんだん時代にそって変わってきて、茶風も少しずつ変わってきます。意識しないですが、なんとなくそれを見ている。
ですから、自分自身で家元になったからという意識はしたことがあまりないような気がします。
恐らく猶有斎もそういうような気分で、これからやっていくうちに自分なりのお茶というものができてくる。
それこそ「清流無間断」という言葉がありますが、清らかな水が途切れることなくずっと常に流れていくという、全くそういう気分だと思います。」
猶有斎宗匠の「清流無間断」への思い
「水の流れというのは場所や地形によって刻々とその姿を変えながら流れていくが、しかしその本質は決して変わっていないと思います。
伝統が受け継がれてくる過程も、やはり同じようなことではないかと思います。
新たなお茶の姿というものも取り入れられてきていますが、しかしその本質に流れているものは決して変わっていない。そういった「清流無間断」という水の流れるような伝統のあり方で、この茶道の歴史も受け継がれてきているのかな、という感じがします。」
水の流れのように耐えることなく受け継がれてきた茶の湯。その継承は歴代の家元のたゆまぬ工夫と努力によって成し遂げられてきました。
茶の湯 表千家 新たな茶の姿
7代 如心斎(じょしんさい)
江戸時代中期の家元の第7代如心斎。
これは如心斎が残した掛け軸です。
如心斎は「死後 像を許さず」と肖像を残さず、この円相を描いた厳格な人物でした。
すでに利休がなくなって150年。
「大衆化の中で、茶の湯の心が忘れられつつある」。
危機感を抱いた如心斎は、茶の点前に花や炭などを学べる新しい稽古法「七事式」を考案しました。
千家茶道の中興の祖とも言われる家元で、茶道人口が非常に増加をしていた時代でした。
お茶のお稽古というと、お点前をするとお点前1人しかできませんし、なかなか大勢の人が一度に参加するということができないのです。
しかし、お茶に参加をする人数がどんどん増えてきた中で、七事式という大勢の人が一度に参加できるような新しい稽古の式法を制定しました。
そういう意味では利休への回帰も打ち出した家元です。
11代 碌々斎(ろくろくさい)
幕末から明治にかけて激動の時代を生きた家元です。
文明開化の波が押し寄せ、急速に西洋化する中、茶の湯を日本人の心の拠り所にしようと、自ら全国に出向いて伝えました。
明治維新は、単に政治の体制であったり社会の仕組みが変わっただけでなく、人々の価値観が大きく転換したという意味で、大きな時代の変換期でした。
その中で、西洋の生活スタイルが取り入れられて、日本の伝統的なものに目が向けられなくなっていき、いろいろな面で茶道が衰退していた時代でした。
しかし、そうした中で広島、山口の萩や下関、長崎まで出向いていって、自ら新たな担い手を開拓していました。その中で、千家の茶道というものを徐々に回復していく努力をしてきた家元でした。
14代 而妙斎の時代
幼少期は、戦中戦後の時代でお茶どころではなかったようで、実際のところ家元の稽古場へ来る人達に出すお菓子がなかったとのことです。お砂糖が手に入らない状況ではありましたが、なんとか少しでも手に入れてきて、それで干菓子を作ってお茶の稽古に使ったりしていました。
戦後の物がない時代から、また人が集まるようになって再興していったという形でした。
学生時代は、友達と旅行ばかりしていたそうです。その時は必ずお茶と茶せんを持って、行き先で茶碗になるものを借りて、そういった道具をリュックに詰めての行脚だったようです。
旅先では、どこからの連絡船に乗っている時に一服飲んだり、山裾の野原や行く先々の旅館で飲んだりしていたとのことです。
改めて茶の湯ということではなく、日頃の生活の中にそれがずっと入っているので、お茶席で内弟子の人たちがお茶を点ててくれるということではなく、居間のようなところで長火鉢にかかっているところで、10時と3時のおやつみたいな感じで、お茶を一服飲んでいる、ということだそうです。
したがって、旅行するときも、改めてどうこうではなく、当然必要なものとして普通だったということだそうです。
茶の湯というと覚えることがたくさんあって、というような印象ですが、日常から親しみを持って楽しめるものということです。
これからの表千家
器の水を余さず欠かさず、次の器に移し替えるようなそういった受け継ぎ方が伝統継承のあり方。しかし、その中で時代の要請があるので、そういったものも頭に入れながら、21世紀のお茶の在り方をしっかり見つめていければとのことです。
インターネットの発達により、情報が溢れている時代になり、人と人とのコミュニケーションの形も変わってきました。
いつでもどこでも誰とでも繋がれる時代になって、それはとても便利なことで今更それを捨てるわけにはいかないですが、しかし人と人とのコミュニケーションは、直接膝と膝を突き合わせて、同じ空間を共有する中で育まれていくものが本来のもののはず。
茶道は一服のお茶を通じて、亭主と客とが交わる中で主客の心が通い合い、そしてこの茶会の一座が成り立ちます。そこに茶道の本質があります。
SNSが発達した今の時代だからこそ、茶道を通じて人と人との心の交わりが見直されていければよいと考えているそうです。
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